岩櫃城跡が国指定史跡に向けて答申されました!
【答申】
国の文化審議会は、令和元年6月21日(金曜日)に開催された同審議会文化財分科会の審議、議決を経て、当町の「岩櫃城跡」を新規の国の史跡(国指定史跡)として指定するよう文部科学大臣に答申しました。
答申後については、官報告示を経て正式に国史跡として指定される予定です(時期は未定)。
【国指定史跡とは】
国指定史跡とは、集落跡・古墳・城跡などの遺跡で特に歴史的・学術的に価値が高いものと国が認めたものをいいます。国指定史跡となった遺跡は、今後将来にわたって守るべき大切な遺跡として文化財保護法に基づいて保存していくことが必要となり、現状の変更を行うためには国の許可が必要となります。
【岩櫃城跡とは】
岩櫃城跡は、標高802mの岩櫃山中腹に築かれた戦国時代から江戸時代初期の城跡です。築城された時期は伝承が多く詳細が不明ですが、少なくとも戦国時代にはその存在が確実になっています。
甲斐国(現在の山梨県)から上野国(現在の群馬県)へ侵攻した武田氏によって統治されていた時代は、越後国(現在の新潟県)の上杉氏の侵攻に備える前線基地として機能し、武田氏滅亡後に岩櫃城跡の統治を行った真田氏の時代は上杉氏、後北条氏、徳川氏といった巨大勢力に挟まれた真田氏の領国経営の拠点として機能しました。
岩櫃城跡の廃城は江戸初期に出された一国一城令によってという話や、城下に立てられた市の繁盛から徳川家康の不審をかったことで、真田信幸によって廃城とされたという話も残されています。
写真上段左:岩櫃城跡全景
写真上段右:本丸東側竪堀
写真下段:三段積みの石積み(本丸発掘調査時)
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東吾妻町教育委員会 社会教育課
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